昭和の歴代首相や財界リーダーの指南役として知られる碩学・安岡正篤師。
その令孫、安岡定子さんは現在「こども論語塾」の講師として全国20か所以上で子供たちに分かり易く論語を教え、人気を博しています。
『致知』で好評連載中の安岡定子さんが語った「志を果たす上で大切なこと」とは——。
本連載で紹介した
「子、四を以て教う。文・行・忠・信」
(孔子は常に四つの教育目標を立てて弟子を指導された。古典の研究、実践、誠実、信義の四つである)
という章句をご記憶の方もいらっしゃると思います。
この短い章句には孔子の教えが凝縮されていると申し上げましたが、
今回紹介する章句もまた、志を果たす上で忘れてはならない人としての心得を説いたもので、孔子の生き方や人生観を余すところなく伝えているように思います。
「道に志し」の道とは、人として踏み外してはいけないルールの意味です。
『論語』にある、
「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」
「人能く道を弘む」
という有名な章句も同じ意味で「道」という言葉が用いられていますが、その道はただ漫然と歩むのではなく、志を持って歩まなくてはいけないというのが孔子の教えです。
言い換えれば「こういう人になりたい」という理想的な人物像を常に心に描き、そこを目指して歩み続けることです。
次の「徳に據り」とは徳を拠り所とすることです。
道を求めるのにいくら崇高な理想を持っていても、それが他人に不快な思いを与えるものだったり、独りよがりなものであったら意味がありません。
徳とは、
「人がもともと持っている正しいことができる力」
なのですから、道を歩む上では、その力を十分に発揮して正しいことは何かを自分で判断し、行動しなくてはいけません。
「仁に依り」も似たような意味で、道を求めて行動する場合にはいつも仁(思いやり)を心の中に置いておくことが大切です。
徳をもう一歩進めて、どうすることが相手の幸せに繋がることなのか、相手に何をしたら喜んでもらえるか、を考え行動することが仁ある人の生き方と言えるでしょう。
この章句にある道や志、徳、仁といった言葉は孔子の教えの中核をなすものであり、孔子の考えを凝縮していると述べる根拠もそこにあるのです。
では、「藝に游ぶ」とはどういう意味なのでしょうか。
その令孫、安岡定子さんは現在「こども論語塾」の講師として全国20か所以上で子供たちに分かり易く論語を教え、人気を博しています。
『致知』で好評連載中の安岡定子さんが語った「志を果たす上で大切なこと」とは——。
本連載で紹介した
「子、四を以て教う。文・行・忠・信」
(孔子は常に四つの教育目標を立てて弟子を指導された。古典の研究、実践、誠実、信義の四つである)
という章句をご記憶の方もいらっしゃると思います。
この短い章句には孔子の教えが凝縮されていると申し上げましたが、
今回紹介する章句もまた、志を果たす上で忘れてはならない人としての心得を説いたもので、孔子の生き方や人生観を余すところなく伝えているように思います。
「道に志し」の道とは、人として踏み外してはいけないルールの意味です。
『論語』にある、
「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」
「人能く道を弘む」
という有名な章句も同じ意味で「道」という言葉が用いられていますが、その道はただ漫然と歩むのではなく、志を持って歩まなくてはいけないというのが孔子の教えです。
言い換えれば「こういう人になりたい」という理想的な人物像を常に心に描き、そこを目指して歩み続けることです。
次の「徳に據り」とは徳を拠り所とすることです。
道を求めるのにいくら崇高な理想を持っていても、それが他人に不快な思いを与えるものだったり、独りよがりなものであったら意味がありません。
徳とは、
「人がもともと持っている正しいことができる力」
なのですから、道を歩む上では、その力を十分に発揮して正しいことは何かを自分で判断し、行動しなくてはいけません。
「仁に依り」も似たような意味で、道を求めて行動する場合にはいつも仁(思いやり)を心の中に置いておくことが大切です。
徳をもう一歩進めて、どうすることが相手の幸せに繋がることなのか、相手に何をしたら喜んでもらえるか、を考え行動することが仁ある人の生き方と言えるでしょう。
この章句にある道や志、徳、仁といった言葉は孔子の教えの中核をなすものであり、孔子の考えを凝縮していると述べる根拠もそこにあるのです。
では、「藝に游ぶ」とはどういう意味なのでしょうか。
『致知』2014年3月号より