小澤征爾と並ぶ日本指揮界の巨匠・飯守泰次郎氏。
その音楽への深い愛情と情熱、純粋さから生み出されるサウンドは演奏者、聴衆、会場を一体に包み込み、世界中の人々を魅了してやみません。
ところで、指揮者にとって避けては通れない道とは何でしょうか。
それは楽団員との対立だと言います。
人間関係のもつれというのは楽団のみならず、会社や学校をはじめあらゆる組織で起こり得る問題でしょう。
その壁をいかにして乗り越えていけばよいのか。
飯守氏が語った「人間関係を善くする思考法」とは——。
人生には逆境や壁というものが必ずあります。
若くてまだキャリアをあまり積んでいない頃は、指揮者よりもオーケストラの楽員のほうが当然経験豊かです。
そういう時、彼らの多くは
「彼はまだ若いから助けてやろう」
と手を貸してくれることもありますが、
中には、
「なんだ、こいつ。全然分かってないじゃないか」
と、反発したり、信用してくれない人もいるものです。
——ああ、演奏者が協力してくれないと。
これは若い指揮者であれば避けては通れない道でしょう。
当然私も経験しました。
しかし逆にそれがなくて、いつもいつも甘やかされていたのでは、やはり成長しないのではないでしょうか。
私は自分が独裁者として楽員を支配する快感とは全く無関係の人間で、とにかく音楽が好きだったのです。
ですからそういう対立が起きたり、自分が言ったことに対して動いてくれないことがあると、大変傷つき、苦しんだこともありました。
こんな思いをしてまで自分は指揮者をやる必要があるのか。
それならどこかでピアノを弾いているほうがマシなのではないかと。
——その壁をいかにして乗り越えたのですか。
ただ、そこで「待てよ」と思ったのです。
彼らにも何か言い分があるはずだから、まずそれをよく聞こうと。
何かが鬱積して相手にぶつける時には、その言い方を心得ている人とそうではない人がいます。
要するに言葉の選び方なのですが、これを間違えると感情的にぶつかってしまう。
まず何か言われた時に、真っ向から対立するのではなく
「では、どうしたらいいですか」
と耳を傾ける。
するとたいてい相手も冷静になって
「ここが分からない」
と言ってくれる。
それに対して私も
「分かりました。善処します」
という具合に。
——感情的にならず、まず相手の思いに耳を傾けることが大事だと。
ですので、よくある指揮者と楽員の対立というのは、私の場合には割合少なかったですね。
その代わり、飯守さんは軟弱であると言われていたかもしれない。
しかし私は、何が大事かということを常に失わないようにしていたのです。
つまり自分のプライドが先ではなく音楽が先だと。
「なんだ、それ」
「ここは違う」
と乱暴に否定されると、辛いことも確かにありました。
ただ、相手は別に私を侮辱しようと言っているわけではないのです。
相手も私も音楽のために仕事をしている。
音楽のために苦労している。
つまり、いい音楽をつくろうという目的は同じなのです。
——ああ、たとえ反発している人でも思いは自分と同じだと。
結局、一番大事なのは音楽。
いい音楽をつくるためにはこちらが譲ってもいいし、そういう意味で指揮者は支配者でなくてもよいのです。
ともに創っていくことが大事です。
指揮者も演奏者も上手い人、下手な人、若い人、ベテランの人、高圧的な人、協力的な人、様々な人がいる中で、それらをまとめて一つの音楽を創り上げていくことが指揮者の役割だと思っています。
『致知』2014年4月号より