日本水産界のジャンヌ・ダルクと呼ばれ、テレビや新聞、雑誌など、各メディアから引っ張りだこの坪内知佳さん。
いま、日本の水産業の疲弊が叫ばれて久しい。
漁業が盛んな街として有名な山口県萩市・大島も例外ではありませんでした。
そこに現れた救世主が坪内知佳さん、27歳なのです。
シングルマザーとして女手一つで子育てに勤しむ傍ら、約60人の漁師を束ね、6次産業化を実現。
いま全国に新鮮な魚介類を送り届け、再び島に活気を取り戻しつつあります。
そんな坪内さんが語った「人生の花を咲かせる秘訣」とは——。
——衰退の一途を辿っていた水産業で僅か1年で黒字を出すとは、その経営者としてのリーダーシップはどこで培われましたか。
坪内
父が自営業をやっていたこともあって、物心ついた頃からいつか起業したいと思っていました。
ただ、やるんだったら、「血の通った商売がしたい」と。
父は毎日忙しく、1か月に1度しか会わない生活もあったり、当然運動会も参観日も来ない。
そういう環境で育って、働くとは一体何ぞや、という思いがありました。
学生時代は海外に留学したこともあり、CA(キャビンアテンダント)になろうと思って、大手航空会社でインターンをしていました。
大学の講義を受けて、インターンをやって、他のバイトもやって、お金に困ることもなく生活していました。
しかし、内定の一歩手前で体を壊して、そこで人生考えたんです。
みんなと同じようにキャリア追求のような形でやってきたけれど、私これで死んだら後悔するなって。
子供の頃からずっとあった
「働くために生きるのか、生きるために働くのか。」
という問いを抱きながら結婚して、後に萩に来て、
「ああ、ここだ。ここなら私が目指してきた経営ができる。」
と思ったんです。
——念願だった「血の通った経営」ができると。
1年で黒字が出たといっても、本当に小さく、徹底して経費をかけない経営をしています。
都会の企業と同じように、常に右肩上がりで規模の拡大をしていくことを目標とするのは、私のコンセプトに合いません。
もちろん仕事の規模が大きくなれば、それに見合った人員の確保は必要ですが、朝から晩まで家族と顔も合わせず働いて、従業員の中から過労死や鬱病の人間が出たりするなら、会社をやる意味ないですよね。
やっぱり働いている人たちが元気になる商売じゃないと。
うちの事例を知って、いま、漁労関係者や養殖事業の方々など、たくさんの方が視察にいらっしゃいます。
「うち、やばいんです。助けてください。」
と言って来られるのですが、一通り見て帰られる時は、
「やれそうです。」
と言って、笑顔でこの島から出ていかれます。
彼らにやれそうだと思ってもらうためにも、まずは自分たちが物心ともに幸せでないと。
うちがそういう前例をつくって、日本の水産を変え、業界の常識を変えていきたいと思っています。
——そうして日本の水産業界にもう一度花を咲かせたいということですね。
そうしたいですね。
時代の流れとか、環境のせいにして言い訳している人たちも結構多いと思うんです。
「水産、厳しいから」
「もう、魚がいないから」って。
でも、厳しい水産の中でもうちはここまでやれています。
それは一般社会にも言えることで、例えば親がこうだから、上司がこうだから、社会がこうだからと嘆いても、その責任は100%相手にあるんじゃなくて、自分にもあると私は思うんですね。
なので、「自分の花を咲かせる」というテーマに関して言うと、それは自分が自分の責任の下で、自分らしく生きること。
たとえ明日死んでも後悔のない生き方を
していくことだと思います。
一人ひとりがそうやって生きていけば、日本はもっといい国になると思うし、生きていて楽しい国になるだろうなって。
そして私たち一次産業は本当に大きな可能性を秘めています。
その花を咲かせることで、私自身の人生の花も咲かせていきたいと思います。
『致知』2014年7月号より