私が学習塾講師になって間もない頃、S君という中学三年生の生徒が入塾してきました。
無口で少し変わった子でした。
授業の時にノートを出さない。
数学の問題はテキストの余白で計算する。
だから計算ミスばかりしているのです。
たまりかねた私は、ある時、彼を呼び出して言いました。
「ノートはどうした」
しかし、S君は黙ったままうつむいています。
次の日は必ずノートを持ってくるように約束させましたが、それでも彼はノートを持ってきませんでした。
私はカチンときて思わず怒鳴りつけました。
「反抗する気やな。よし分かった。先生がノートをやるわ。」
私は五百枚ほどのコピー用紙の束を机にボンと投げ出しました。
するとS君は、
「ありがとうございます」
と御礼を言うのです。
夏になると、周囲の生徒からS君に対する苦情が寄せられるようになりました。
彼がいつも着ているヨレヨレのTシャツとジーパンが臭うというのです。
この時も私は彼を呼んで毎日着替えるよう言いましたが、それからも服装は相変わらずでした。
私は保護者面談の時、S君の母親にこのことを話しておかなくてはと思いました。
生活態度を改めるよう注意を促してほしいと訴え掛ける私に、母親は呟くように話を始めました。
「あの子は小学校の頃から、この塾に通ってK学院に進学するのがずっと夢だったんです。でも先生、大変申し訳ないのですが、うちにはお金がありません……」
S君が早くに父親を亡くし、母親が女手一つで彼を育て上げてきたことを知ったのはこの時でした。
塾に通いたいというS君をなだめ続け、生活を切り詰めながらなんとか中学三年の中途で入塾させることができたというのです。
私はしばらく頭を上げることができませんでした。
S君に申し訳なかったという悔恨の念がこみ上げてきました。
そして超難関のK学院合格に向けて一緒に頑張ることを自分に誓ったのです。
K学院を目指して早くから通塾していた生徒たちの中でS君の成績はビリに近い状態でしたが、この塾で勉強するのが夢だったというだけあって勉強ぶりには目を見張るものがありました。
一冊しかない参考書がボロボロになるまで勉強し、私もまた、他の生徒に気を使いながら、こっそり彼を呼んで夜遅くまで個別指導にあたりました。
すると約二か月で七百人中ベストテンに入るまでになったのです。
まさに信じがたい伸びでした。
S君はそれからも猛勉強を続け、最高水準の問題をこなせるようになりました。
K学院の入試も終わり、合格発表の日を迎えました。
私は居ても立ってもいられず発表時刻より早くK学院に行き、合格者名が張り出されるのを待ちました。
真っ先にS君の名前を見つけた時の喜び。
それはとても言葉で言い尽くせるものではありません。
「S君に早く祝福の言葉を掛けてあげたい」。
そう思った私は彼が来るのを待ちました。
母親と一緒にやって来たのは夜七時を過ぎてからでした。
母親の仕事が終わるのをずっと待っていたようでした。
気がつくとS君と母親は掲示板の前で泣いていました。
「よかったな。これでおまえはK学院の生徒じゃないか!」
我がことのように喜んで声を掛けた私に彼は明るく言いました。
「先生。僕はK学院には行きません。公立のT高校で頑張ります。」
私は一瞬「えっ」と思いました。
T高校も高レベルとはいえ、K学院を辞退することなど過去にないことだったからです。
しかし、その疑問はすぐに氷解しました。
S君は最初から経済的にK学院に行けないと分かっていました。
それでも猛勉強をして、見事合格してみせたのです。
なんという健気な志だろう。
私はそれ以上何も言わず、S君の成長を祈っていくことにしました。
この日以来、S君と会うことはありませんでしたが、三年後、嬉しい出来事がありました。
東大・京大の合格者名が週刊誌に掲載され、その中にS君の名があったのです。
「S君、やったなぁ」。
私は思わず心の中で叫んでいました。
(『致知』2011年3月号)
「一流たちの金言2」(藤尾秀昭監修)より