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Channel: 芸術家く〜まん843
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2014年6月27日映画「草刈り十字軍」上映会@富山県教育文化会館レジュメ

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2014年6月27日 14:00 - 16:00
富山県教育文化会館505号室
〒930-0096 富山市舟橋北町7-1

足立原貫と野口伸によるノンフィクション『山へ入って草を刈ろう―「草刈り十字軍」17年の軌跡』をもとに、「YAWARA!」の吉田一夫が脚本・監督を務めた実話に基づくドラマ。1974(S49)年、造林地への除草剤空中散布を「事件」ととらえる猛反対運動から始まった草刈り十字軍運動、今夏、41年目。
富山県立技術短大の足立原貫教授は、新しい形態の農業に挑戦するため、教え子たちと富山県大山町を訪れていた。借り受けた農地の裏にある造林地に除草剤が散布されるのを見た足立原は、生態系を破壊する除草剤の使用をやめさせようと公団や役所に訴えるが、対案がなければ反対を聞き入れるわけにはいかないと一蹴されてしまう。足立原と教え子のグループは、造林地の下草刈りを自分たちで行うことにする。しかし200ヘクタールの広さを自分たちだけで刈ることは不可能なので、ボランティアを募り“草刈り十字軍”を組織することを決めるのだが…。

過疎が進み廃村になった富山県大山町小原で、富山県立技術短大の足立原教授は、教え子グループとともに新しい農業形態に挑戦していた。それは、使われなくなった農地を持ち主から借り受けて実践活動を行うというものである。ある日、彼らの農地の裏に広がる造林地に除草剤が空中散布されることになった。その除草剤は水や土を汚染し、自然の生態系を著しく破壊する危険なものである。足立原は除草剤散布を阻止しようと造林公団や市に訴えるが、杉苗の造林のためには除草は必要不可欠であり、対案のない反対では聞き入れることができないと言われた。足立原は教え子たちと相談の末、造林地の下草刈りの役目を自ら買って出る。ところが、造林地は200ヘクタールという広さで、公団との約束の期日までには終わりそうもなかった。考え抜いた末、彼らは“草刈り十字軍”と銘打ってボランティアを募り、夏休みを利用した学生や社会人など様々な人たちを集める。ブロックごとに分けられたボランティアたちは、早速作業を開始し、辛く慣れない仕事をなんとかこなしていった。ところが、一部のグループで、仕事が辛すぎてやってられないという不平を言う者が現れる。グループの士気は著しく落ち、他のブロックがノルマを終えても、そこだけは一向に終わる目途が立たなかった。約束の期日までに草刈りを終えなければ契約不履行で訴えられてしまう。足立原は仕方なく、さらなるボランティアを求めて都会へ赴き、街角にたむろする若者たちひとりひとりに声をかけて回る地道な作業を始めた。その苦労が実ってボランティアが増員され、下草刈りは期日までに無事終了した。この草刈り十字軍は、その後も20数年にわたって続いている。

キャスト
加藤剛(足立原貫)
香野百合子(足立原よし子)
上澤津孝(前田喜芳)
櫻井淳子(遠藤幸江)
巻島康一(野口進)
田中徹(森幸英)
須田真魚(津村成一郎)
上福更記(木藤和博)
長江英和(此口幸二)
河内桃子(安部葉子)
塩山誠司(岡田隆史)
安田博美(山崎圭子)
志村要(石村隆)
石田大(酒井秀範)
西川竜太郎(嶋田清造)
元気安(岡本稔)
斎藤暁(大橋)
林竜之介(山浦)
加藤大治郎(吉野)
河内浩(宮川)
関野吉記(健次)
原田清人(造林公団富山出張所所長)
森一(大山町役場農林課課長)
河野正明(増井主任)
荘司肇(内藤課長)
各務理樹(山崎)
中吉卓郎(農薬メイカーの技師)
滝田裕介(語り手)

スタッフ
監督:吉田一夫
製作:安部雍子
企画:木下恵介
プロデューサー:小元広悦 池永安秀 古賀伸雄
原作:足立原貫
野口伸
脚本:吉田一夫
美術:大橋豊一
撮影監督:岸本正広
編集:村山勇二
音楽監督:平松良太
助監督:渡辺容大
ナレーション:滝田裕介

上映時間 100分
製作国 日本
公開情報 劇場公開(ぐれいん館・人間行動研究所)
初公開年月1997/07/04

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主催者: 草刈り十字軍運動本部
■レジュメ

◆草刈り十字軍とは?
草刈十字軍とは、日本で行われている環境保護活動。
林業の造林作業においては、植樹した木が周囲の雑草に被圧され衰退しないように、定期的に草刈りをする必要がある。この草刈りの作業は非常に手間がかかることから、1970年代には除草剤などを併用して行われていた経緯がある。
1973年、富山県大山町(現富山市)の植林地へ除草剤の散布計画が持ち上がり、環境破壊を危惧した足立原貫(あだちはらとおる/当時の富山県立技術短大教師、現NPO法人農業開発技術者協会・農道館理事長)が全国の学生にボランティア活動を呼びかけ、人力による草刈りを行った。数日間による合宿による除草活動は、参加した学生らの環境保護の意識を高め、全国各地へ波及する結果となった。
林業における草刈り作業は、炎天下の急斜面で大型の刃物(農業用の一般の鎌とは形状・大きさが異なる)をふるう非常に危険な重労働である。除草剤の散布に一方的に反対するだけではなく、対案を実践する苦しさや辛さを体験する場として、発足後30年を経た後もなお、数十名もの参加者を見ている。

◆草刈り十字軍の誕生とその経過
一九七四年五月、森林開発公団富山出張所は「クサトールFP剤」という塩素酸系の除草剤を空中散布しようとしていた。五月三○日、三一日に総量六○トン(一ヘクタール当たり二○○キロ)をヘリコプターで空中散布するという『枯れ葉作戦』である。
これに対して地元では「地元民に相談しない上、国有林で使用を禁止されている農薬を撒くのはけしからん」と反対運動が起きた。また、これに並行して散布予定地域内の大山町で一九六七年以降『人と土の大学』、『農業技術者協会』などの諸事業を展開していた富山県立技術短大の足立原教授は「飲料水や作物への影響が心配され、除草剤が空中散布されると森の生態系が完全に破壊され、野鳥や獣、微生物などは全滅する」として、同町や公団に抗議した。五月二七日午後、大山町役場で同公団、町当局、散布中止を要請している農業開発技術者協会会員らが除草剤メーカーから「除草剤として法律で認められている薬剤であり、塩素酸系ナトリウムも五○%含有で安全である」等の説明をきいた。しかし、同協会会員らは「メーカー側の一方的な説明を聞いただけでは安心できない。第三者の意見も参考にしたい」と納得しなかったため、公団側は除草剤の安全性について地元住民と合意するまで空中散布を延期することを決定した。この間、双方当事者で話し合いが重ねられる中で足立原教授は次のように提案した。
人工造林そのものの是非は一応おくとすれば、資源問題、国土保全問題を改めて持ち出すまでもなく、森林の育成は遂行されなければならない天下の大事、社会の必要事である。そのために造林地の下草の始末は不可欠な作業である。コトは反対だけですむことではない。どんなに激しく反対運動をもりあげても、ヘリコプターによる除草剤空中散布を中止させたとしても、この大問題は何の解決にならないだけでなく『森林の育成』という錦の御旗の前には無頼な妨害を働いただけという始末になりかねない。その上、反対していたことが強行された場合の反対運動というものの空しさをこれまでに幾度となく味わってきたことを考え合わせると、ここで反対の意志表示をどんなに激しい運動として行なっていっても対案がないかぎりどうにもならないことを思い知らされるだけである。一番の問題は除草剤散布をやめた場合、どうやって広い造林地の下草を刈るかということである。そこで代案として、目的は下草刈りであって空中散布じゃないはず。だから労働者不足をすぐ空中散布に結びつけないでもっと広い視野で発想の転換をしたらどうか。毎年北海道の酪農家庭などに全国の学生がアルバイトに集団参加していることに着目して、全国の大学生を対象に造林地の下草刈りチームを募集し、山林をただ労働の場だけにせず、青年の汗を流す社会教育の場として、また心身鍛練の場として学生に開放し、下草刈りをさせ、空中散布の費用八五○万円余はバイト代として提供したらどうか。
この着想は、若者に自己啓発、自己鍛練、新しい価値観の想像の場を機会を提供し、その結果として森林業務の一端が達成されることをねらうというだけでなく、いわゆる解決なき“反対運動”へ一石を投じようとするねらいもあった。
現実のきびしさを知らない教育者や研究者の理想主義で山の下草刈りができるものか、今どきの都会の若者に何ができるものか、苦しい山林の重労働に耐えられるものかと公団側は冷ややかな態度であったが、足立原教授の熱意に負けてしぶしぶながらこの提案をのんだ。
その後、足立原教授は各地の大学をとびまわり、学生の溜まり場で学生を説得したり、講演会を開いたりして学生に参加を呼びかけた。その結果、地元の県立技術短大をはじめ同志社、和光大、玉川大、山形大など全国の大学から多数の応募があり、『草刈り十字軍』の活動が始まった。
第一陣として七月一五日、桑原秀夫山形大農学部教授を中心とする山形大生四人と国際キリスト教大生一人が大沢野土(ど)地区に入山。また、一六日夜、同志社大生が到着。大山町へは和光大、国際キリスト教大生等個人参加者が入山。一七日には二○名の玉川大生が福光町に入山。その後、大阪府大、東京農大、独協大、早大、千葉大、東海大など四○大学の応援部隊が続々と入山した。さらに高校生や大学浪人、就職浪人、サラリーマンなどその立場も思想も平素の生活もさまざまな若者が集まった。その数は一五才から四四才まで二五○人を超え、それぞれ平均一○日間の激しい作業に耐え抜き、延べ二○○○人が八月下旬までに八尾町の一部をのぞいてすべての作業を完了した。
八尾町では一部作業を放棄したが、これはこの地区は以前から除草剤が使用されており、そのため雑草やかん木がきれいには枯死しておらず、特にかん木が非常に大きくなっており、鎌だけでは歯がたたず、切り倒せない状態にあったためである。これについて足立原教授は「これまで空中散布が行なわれてきたにもかかわらず、杉の育成が悪く、逆に雑草やかん木が非常に伸びているところがめだった。これは空中散布が下草の除草に効果がないという証明になった」と語った。
一九七五年も十字軍が組織されることになった。行政も動きだし、県は二○○万円の予算をつけ、この運動をバックアップすることになった。前年度の八尾町が作業地からはずされ、あらたに小矢部市が加わった。作業地面積は大山町六三ヘクタール、大沢野一一二ヘクタール、小矢部二○ヘクタール、福光町七三ヘクタール、計二六八ヘクタールである。
この年は準備期間があったので、東京では『日本の森と緑を守る会』という名称で事務局を開設した。京都では同志社大生河野信一君を中心に『選挙違反民間監視本部』の一室を借り、『草刈り大作戦』の名称で募集活動をおこなった。ビラやポスターの配布、あるいは同大教授小野氏のゼミの時間を借りて足立原氏の講演を催しり、新聞やFMラジオの協力を得て、大々的に募集した。この年は第一陣として同大一四名、立命、龍谷六名、計二○名が七月二○日に小矢部市に入山。東京から二名(日大、早大)の炊事隊員と合流し、実働一三日半で二○ヘクタールの造林地の下草を刈った。また、同大、京都薬科大の一○名が第二陣として八月一日、大山町に入山した。
翌一九七六年は前年度の合宿成功にもとずき、小矢部市から直接京都隊に招請があった。
~『一九七七年 草刈り十字軍・ミドリの十字軍隊員手帳』、および『七八年度 草刈り十字軍隊員の手引き』により

◆2014年度草刈り十字軍募集!
◆人と土の大学
平素相会うこともないさまざまな人々が土を仲立ちとして出会い、土にかかわり合う仕事にふれて、自然や社会や人生を考え、学び合うという機会と場を提供することをねらいとして、昭和45年に開学。毎夏、農業開発技術者協会小原事業地を開放して、3泊4日の講座をひらいている。現代に失われている大きな二つのもの、“人”と“土”の回生の願いをこめるこの催しは、文明批評の一つの実践として、各方面に反響をよび「山崎賞」誕生の一因ともなった。

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原作出版し映画化されるに至るまで10年もの年月を費やしている。また其の間には当初監督予定の木下惠介氏の死去もあった。其の後、吉田一夫監督に引き継がれた。
しかし当初原作であった著書は絶版になり、映画化した際に原作がないというのはよくないため、当初の原作に加えこの作品の映画化に至るまでの話を加筆し出版された。
この作品はセットがひとつもなく、すべて現場で撮影された。
主演の加藤剛氏より原作にある盲人の話が台本にないとの指摘を受けて、急遽台本に加筆された。因みに盲人は実在の人物である。
クサトールFP粒剤は、ヘリより散布される除草剤で触れたものはすべて枯らしてしまう危険性がある。1haあたり、60kgのクサトールFP粒剤が散布には必要である。

◆クサトールFP粒剤とは?
草刈り十字軍とは、文明費用の実践である。何事も世の中で起こることについて、ただやみくもに反対したり、例えばヘリを妨害する、除草剤の会社を爆破するなど過激な行動ではなく、反対ならそれに代わる代案を提示し反対の声をあげることが大切である。文明を履き違えた解釈が多い現代社会の今、思いを持ち方法論を考え行動を起こすことが望まれる。

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