$ 0 0 「救い」とは「自分のような者でも、尚ここにこの世の生が許されている」という謝念でもあろうか。そしてその見捨てない最後の絶対無限な力に対して、人びとはこれを神と呼び仏と名づける。【小注】無類の宗教者であり教育者であられた東井義雄先生の言葉に「願う時も願わない時も守られている」とありますが、神はまどろみたまふことなしである。「森信三一日一語」寺田一清より