遠位型ミオパチー、という病をご存じでしょうか。
次第に筋力が衰え、いずれ寝たきりになってしまう難病で、一切の治療法も治療薬もありません。
30歳の頃に発病し、症状が進行する中で、20年経ったいまもなお、小学校教諭として教壇に立ち続けるのが中園靖子さんです。
そんな中園さんを支え、助けようと、立ち上がったのは生徒たちでした。
「しょ名のおねがい」
ぼくたち、わたしたちのたんにんの先生は、遠位型ミオパチーというむずかしい病気とたたかっています。
この病気には、まだ薬がなく、ちりょう方法もありません。
早く薬が出きてせんせいがぼくたち、わたしたちとずっといっしょに学校生活がおくれるようにみなさんの力をかしてください。
どうかしょ名をよろしくおねがいします。
津森小学校四年一同
(原文ママ)
この署名の嘆願は、当時の厚生労働大臣宛の署名用紙の裏に印刷されたものです。
2012年に私が担任した熊本県益城町立津森小学校4年生の児童たちが中心となって始めてくれた署名活動が、大変大きな広がりを見せました。
嘆願の中にあるように、私は「遠位型ミオパチー」といって、手足の指先など、体幹から遠い筋肉から萎縮していく原因不明の病に侵されています。
患者数は全国に400~500人ほどの希少疾病で、いまのところ治療法は確立されておらず、やがて寝たきりになるより他ない、と言われています。
発症はいまから約20年前、学校の仕事も次第に覚えてきた30歳前後の頃と思います。
ちょっとした段差でよく転ぶようになったのです。
知人に勧められ検査に行ったものの、当時はこの病に対するお医者様の認知度も低く、病名がつかない時期が長く続きました。
緩やかに病状が進行する中で結婚し、娘を出産。
検査は続けていたものの、いよいよ歩行やパソコン入力にも困難をきたすようになってきました。
そして2008年、たまたま夫がテレビで見た遠位型ミオパチー患者会代表代行の織田友理子さんと、私の病状が酷似していることから、病院にさらなる検査をお願いし、2010年にはっきりと診断が下ったのでした。
支障はあるもののまだ自分の足で歩けるので、私はいまも教壇に立たせていただいています。
もちろん、体育の授業などはできませんから、同僚たちの支えがあってこそのことです。
また、4月の「学級開き」には私の病気がどんなものであるか、児童にもきちんと説明します。
「先生は早く歩けないし、長く歩けないし、重いものも運べないから、みんなに助けてもらわないとできないので、よろしくね」
すると、児童たちは
「俺が先生と手を繋ぐ」
「いや、私が繋ぐ」
と取り合いになるほど、支え、助けてくれるのです。
『致知』2014年8月号より